
なし
創建 676年 · 통일신라
조계종
모악산, 대적광전(보물)
錦山面清道里に位置する大韓仏教曹渓宗第17教区本寺金山寺の末寺である。帰信寺は676年(文武王16年)に義湘大師が創建したとされているが、百済法王の時代に王室の内院寺として初めて建立されたという主張もある。創建当時の名称は国神寺であったという。その後、統一新羅末期に道允が重創した後、帰信寺と改称した。高麗時代には円明国師(1090~1140)が重創したが、この頃は亀筍寺と呼ばれていた。その後も数回にわたる部分的な重修と大規模な重創を経て、1934年には大寂光殿などを重修した後、再び帰信寺へと名称を改めた。帰信寺は元々、金山寺を従えるほどの規模を誇る大寺院で、高麗末期には侵攻してきた倭寇約300名が駐屯したほどであったというが、現在は衰退し、小さくこぢんまりとした寺院として残っている。 帰信寺の主要文化財としては、宝物である大寂光殿、三層石塔、浮屠、石獣などがある。三層石塔は帰信寺の創建とともに造営されたものと推定され、新羅時代の美を表現する優れた作品である。浮屠は清道院村の入口の田んぼの中に位置しており、全盛期にはこの浮屠がある場所までが寺の境内であったことがわかる。帰信寺の石獣は独特な様式で、座っている石獣の背中の中央には男根のような石柱が堂々と立てられている。仏教思想と男根崇拝思想が融合した特異な形態の石造物であり、地相を鎮めるために建立されたという説と、百済王室が福を祈願する意味で建立されたという説がある。