駕山寺は、大韓仏教曹渓宗第5教区本山である法住寺の末寺である。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際、義兵と義僧軍が活動した寺院である駕山寺は、新羅時代に創建されたと伝えられている。駕山寺は、壬辰倭乱当時、風前の灯火のような民族を救うために、多くの義僧軍と義兵が訓練した護国精神が宿る場所である。壬辰倭乱当時活躍した義兵長としては、郭再祐(クァク・ジェウ)、高敬命(コ・ギョンミョン)、鄭文孚(チョン・ムンブ)、趙憲(チョ・ホン)などがおり、義僧軍としては西山(ソサン)、泗溟(サミョン)、霊圭(ヨンギュ)、処英(チョヨン)、神悦(シニョル)、法鼎(ポプチョン)僧侶などがいる。この中で霊圭(ヨンギュ)大師は、西山(ソサン)大師が僧軍の総責任を負う前、自発的に僧軍を組織した最初の僧将である。駕山寺一帯は、霊圭大師と趙憲先生が義僧軍と義兵を訓練し、軍営として使用した場所であり、大きな歴史的意義を持っている。清州城奪還に大きく貢献した霊圭大師と趙憲先生は、錦山(クムサン)の延滾坪(ヨンゴンピョン)戦闘で殉節したが、国はその忠節を称えるため、駕山寺を護国寺院に指定し、真影を奉安して祭享を行わせた。しかし、日帝強占期(日本統治時代)に抗日運動の中心地となることを懸念した朝鮮総督府は、それまで伝えられてきた二人の義兵長の肖像画を強奪し、不穏な寺院と指摘し、駕山寺を弾圧することもあった。今日、沃川郡(オクチョングン)では、国難克服に先駆けた忠義烈士のために、毎年駕山寺で祭祀を執り行っている。