五歳庵吾世庵

江原道麟蹄郡北面龍岱里山75

創建 644年 · 삼국시대

조계종

江原道麟蹄郡北面、雪岳山萬景臺にある、三国時代の新羅第27代善徳女王の時代に創建された庵。643年(善徳女王12年)に創建され、観音庵と称されたが、1548年(明宗3年)に普雨が重建した。この庵を五歳庵と呼ぶようになったのは、1643年(仁祖21年)に雪淨が重建した後からであり、有名な観音霊験説話が伝えられている。雪淨は孤児となった兄の息子をこの寺に連れてきて育てていたが、ある日、越冬準備のため、襄陽の物峙市場へ出かけることになった。二日間一人でいる四歳の甥のために、数日分の食事を準備し、「このご飯を食べて、あのお母さん(法堂内の観世音菩薩像)を『観世音菩薩、観世音菩薩』と呼べば、よく世話をしてくださるだろう」という言葉を残して寺を去った。市場で用事を済ませた後、新興寺まで来たが、夜通しの大雪で背丈を超えるほど雪が積もったため、一人で気を揉みながら、翌年3月にようやく戻ることができた。ところが、法堂の中から木魚の音がかすかに聞こえ、駆け寄ってみると、死んだと思っていた子が木魚を叩きながら細く観世音菩薩を呼んでおり、部屋の中は暖かな気配と共に香りが漂っていた。子どもは、観世音菩薩がご飯をくれ、一緒に寝て遊んでくれたと話した。五歳の童子が観世音菩薩の神力で生き延びたことを後世に長く伝えるため、観音庵を五歳庵と改称したという。その後、1888年(高宗25年)に白下和尚が重建した。当時、法堂を2階建てにし、朴達木(カバノキ)で柱を立てたが、その滑らかさは、柔らかい絹の衣でこすっても木目が浮き上がらないほどであったという。