
京畿道 安城市 竹山面 漆長路 399-18
創建 636年 · 삼국시대
조계종
칠현산, 혜소국사비(보물)
七賢山の麓に位置する漆長寺は、新羅善徳女王5年(西暦636年)に慈蔵律師によって創建されたという説がある寺院で、高麗時代の1014年には慧炤国師が王命により再建しました。漆長寺と七賢山という名前は、慧炤国師がここに滞在し、7人の悪人を教化して賢人にしたという説話に由来しています。深い車嶺山脈がその尾根を抱えているため、1383年には倭寇の侵入により忠州開天寺にあった高麗朝の歴代実録を漆長寺に移し、8年間所蔵して焼失を免れたこともありました。1389年に倭寇の侵入により全焼し廃墟となっていたが、1506年に興定によって再建されたといわれています。その後1623年には、仁穆大妃が父の金悌男と息子の永昌大君の願刹とし、寺の勢を大きく再興したと伝えられています。境内には大雄殿や国宝第296号「五仏会掛仏幀」をはじめ、慧炤国師碑、鉄幢竿などの指定文化財が多くあります。また、漆長寺にはいくつかの口伝が残っており、弓裔が10歳まで弓術を習い少年時代を過ごしたという弓道場跡が残っているほか、義賊林巨正が皮作りの僧侶、病海大師に捧げたという「コッチョン仏」の物語があります。さらに、暗行御史(秘密視察官)の朴文秀が科挙を受ける前に羅漢殿で祈りを捧げて眠りについたところ、夢に現れた羅漢が科挙の試験問題を教えてくれたため、首席合格したという説話が伝えられており、試験合格を願う多くの人々が訪れる場所となっています。